川本真琴的艺人档案
小档案
川本 真琴(かわもと まこと、1974年1月19日 - )は日本の女性シンガーソングライター。本名:川本和代(かわもと かずよ)。福井県福井市出身。仁愛女子高等学校音楽科ピアノ科、仁愛女子短期大学音楽科ピアノ科卒業。血液型O型。
小简介
「ソニーミュージックSDオーディション」の出場がきっかけとなり、1996年5月2日、シングル『愛の才能』でデビュー。オーディションでは歌いながら会場を走り回るというパフォーマンスを見せたという。ユニークな楽曲とともに突飛な言動でも知られ、ファンの間では「かわまこ」の愛称で親しまれる。代表曲は『1/2』『桜』など。
歌詞は独特な言語感覚が作詞に反映されており、難しい言葉や言い回しを使っている訳ではないが一聴での理解は難しい。また、その歌詞を、早口でリズムを作りつつ一度に歌いきるのも特徴的で、どちらかというと歌唱というよりはラップに近い歌い方で歌い上げていくスタイルである。特に初期の曲「やきそばパン」に至っては早口部分は聞き取ることさえ困難であった。
デビュー曲『愛の才能』は岡村靖幸が作曲・編曲・プロデュースしたことも話題を呼び、ヒットした。川本自身が岡村ファンだったことが大きいと言われる。一方でその岡村靖幸色の濃い『愛の才能』で川本は作詞・歌唱だったことと、ぶりっ子にも見えてしまう不思議ちゃん的な本人のキャラクターもあって、デビューからしばらくの一番大事な期間をアイドルに近い扱いしかされなかった面がある(のちにホームページでさまざまないきさつを語っている)。それ以降は川本自身の作曲、石川鉄男のプロデュースで、ミュージシャンとしての本来の個性をより前面に押し出すようになった。
DNAと1/2のPVでギターを弾くのが印象的な彼女だが、もともとピアノがメインでギターはほとんど弾いておらず、2ndシングルDNAのPVの為にギターを弾かなくてはならなくなり、一所懸命練習したと自身のwebサイトで告白していた。
そもそも、音楽活動は好きなもののプロミュージシャンとしての役割を認識していなかったためか継続的な音楽製作、レコーディングなどは苦手であった。1st album「川本真琴」の発表後からその兆候は現れ始めるが、2001年発表のシングル『ブロッサム』を最後に体調を崩したり、レコード会社との方針が合わなくなり、音楽活動を止める事を決意するも引き止められたりするなどあり、ライブ活動などに専念するようになり、新曲を発表していない。2002年には事務所を離脱し、表舞台からは姿を消すようになる。
2005年、カネボウ「ALLIE」CMソングに安西マリアのカヴァー、「涙の太陽」が起用される。しかし、現在でも未音源化のままである。
2006年1月に自身のホームページにて「川本真琴」名義での音楽活動を終了することを発表。 同年夏、期間限定の3人組コーラスユニットミホミホマコトを組み、5年ぶりにCD発売など本格的に音楽活動を再開させる。また、同年8月9日、新たにタイガーフェイクファ名義での1stシングル『山羊王のテーマ』がハマジムレコーズより発売される。
2009年10月17日の福井でのライブで妹とのユニット、カワモッツを披露する。
以前ライブ会場のみで販売していた、川本も参加したヤギOのアルバム「三枚目山羊王」が配信限定で2010年1月6日にリリースされた。また、彼女のセルフ・プロデュースによる3rdソロ・アルバム「音楽の世界へようこそ」が、2月19日にリリースされた。「川本真琴 FEAT. TIGER FAKE FUR」名義によるフル・アルバムで、川本真琴名義の作品としては2001年のアルバム「gobbledygook」以来、およそ9年ぶりとなる。
2011年 住所不定無職、スカート、三輪二郎というインディーズ界話題の若手をゲストに迎えた新作4曲入りCD+60分に及ぶドキュメンタリーDVDをパッケージした「フェアリーチューンズ」を発表。
2012年 絵本「とうめいの龍」「ブリキの姫」の原作、監修を行い2冊同時刊行。8月5日、8日には11年ぶりとなるワンマンライヴ「風流銀河girl」を東京、大阪の2大都市で行い、デビュー前から現在に至るまでのオールタイムセットリストを引っさげ、ライヴアーティストとしての健在ぶりを強烈に示した。 9月、かねてから交遊のある写真家佐内正史と新作4曲入りCD+60ページに及ぶミニ写真集という形態の「川本真琴 and 幽霊」を発表。 極限まで削ぎ落して尚、芳醇な音楽体験を誘う新作群はまたしても問題作にして傑作である。