倉木 麻衣(くらき まい、1982年10月28日 - )は、日本の女性歌手。千葉県船橋市出身。LOOP?NORTHERN MUSIC所属。前所属GIZA studio。父親は映画監督の山前五十洋。祖父は詩人の山前実治。幼少時代、監督作品にも出演。聖徳大学附属高等学校から立命館宇治高等学校編入?卒業を経て、立命館大学産業社会学部人間文化学系入学、2005年春に卒業。
●艺名 仓木麻衣 (Mai Kuraki)
●本名 青野真衣(Mai Aono)( まい あおの)
●英文名 Mai Kuraki
●中文名 仓木麻衣
●别名 麻衣ちゃん、Mai-K、マイマイ(MaiMai)、クッキー(“Kuraki”的爱称“Ku.Ki-”)
●星座 天蝎座
●血型 B型
●身高162cm
●出生地 关西千叶县
●出生日期 1982年10月28日
●学校 立命馆大学(2001年4月入学,2005年3月毕业)产业社会学部 产业社会学科
●兴趣 绘画、电影、音乐、制作饰品、写信 16岁开始写词,负责自己所有歌曲的填词.
●尊敬的人 父母(有争议)
●家庭成员 父亲:山前 五十洋 母亲:青野 公子 哥哥:青野 拓也
●宠物 キャスパー(博德牧羊犬)、ライス(仓鼠)
●重要的事 朋友、时间、学校生活、家族、八音盒
●自我流行 芳香按摩、印度料理、火锅、搜寻地方特产、矿物泥负离子机
●所属公司 1999年至2007年5月GIZA Studio 2007年5月至今Northern Music
●事务所 LOOP
●喜欢的词语 “Let it be(成せば成る)” (nasebanaru) 顺其自然,只要努力就会成功
●喜欢的颜色 红色、粉色、橙色、白色、黑色等
●最喜欢的乐器:钢琴
●喜欢的植物 扶桑花
●喜欢的动物 狗、猫、熊猫、仓鼠、马
●喜欢的饰品 质朴的银质饰品
●喜欢的画家 CHRISTIAN RIESE LASSEN(克里斯蒂安·来易斯·拉森)
●喜欢的书籍 夏目漱石“こころ”(心)
●喜欢的漫画 青山刚昌“名探侦コナン”(名侦探柯南)
●喜欢的游戏 格斗游戏
●喜欢的演员 成龙、Meg Ryan(梅格·瑞恩) 、Johnny Depp(强尼·戴普)
●喜欢的运动 游泳,滑雪,保龄球,喜欢运动会上枪响后紧张的飞快短跑,百米栏获得过冠军,喜欢观看篮球和网球
●喜欢的食物 水果、意大利面、玉米沙拉、纳豆、西瓜、豆面酱煮鲭鱼 、柚子
●得意的料理 饭团、豆面酱汁
●喜欢的音乐 R&B
●喜欢的歌手 洋乐-迈克尔·杰克逊、劳伦·希尔、惠特妮·休斯顿、后街男孩、夏奇拉,邦乐-久保田利伸
●最喜欢的歌是 La La La Love Song(久保田利伸),美梦成真(买的第一张cd)
●关于作词 常在夜晚或者一个人的时候写
●关于唱歌 录音前一边运动身体一边喝自备的饮料
●接触音乐的动机 在小学高年级时看了迈克尔·杰克逊所主演的电影开始,到后来看惠特妮·休斯顿的mv、live,感到“我也想成为这样的歌手”,于是对西洋音乐产生极大的兴趣。
1999年に17歳でリリースしたデビューシングル『Love, Day After Tomorrow』が売上140万枚の大ヒットとなり、一気に人気アーティストとなった。立て続けにシングルもヒットし、1stアルバム『delicious way』が売上350万枚を、出荷枚数にして400万枚を突破するなど、めざましい活躍を見せた。現在でもシングルを出せばオリコンのトップ10以内にランクインしている。2005年3月に立命館大学を卒業し、現在は音楽活動に専念している。
倉木の日本の音楽業界への影響
倉木がデビューした1999年の日本の音楽業界は、小室哲哉を頂点とするいわゆる小室ファミリーの勢力が落ち込み、MISIAや小柳ゆき、特に宇多田ヒカルの爆発的なヒットによりR&Bブームが起こり、アーティスト自身の歌唱力が問われる本場アメリカを意識した「本物志向」の時代であった。またポピュラー音楽でも、浜崎あゆみやモーニング娘。、椎名林檎?持田香織などの台頭により女性アーティストが業界を席巻する群雄割拠の状況でもあった。
当時のブームの影響もありR&Bアーティストとしてデビューすることになる。アメリカの楽曲を意識する曲が多い中、倉木は親しみやすさ?切なさ?馴染みやすさを感じさせる歌謡曲の延長線上としてのR&Bテイストの楽曲によって音楽シーンを圧巻することとなる。ただ、PVや歌唱法などに於いては宇多田ヒカルとの類似性が多く指摘された。実際、宇多田本人も音楽番組にて「私かと思った」との発言をしている。本物志向の中、倉木の囁くような歌唱法は一部反感を買ったが、ブームに乗り、デビューは成功。特に2000年は、オリコンチャートの年間シングル?トータル?セールス1位、アルバムとアーティスト別のトータルセールス2位を記録するなど活躍する。その後も2ndアルバム『Perfect Crime』やベストアルバム『Wish You The Best』がミリオンヒットするなど、コンスタントに楽曲を発表し続けている。
メディアへの出演について
倉木はデビュー当時より地上波のテレビ番組に出演することを好まない歌手に含まれる。その多くは自身の曲がタイアップされている番組への録画されたコメントでの出演であり、音楽番組への初出演は、2000年7月1日のTBS系「COUNT DOWN TV」でのアルバム「delicious way」の全曲紹介のコメント出演であった。音楽番組で実際に歌ったのは『NHK紅白歌合戦』への3回の出演時のみである。
しかし、デビュー当時から比べると地上波への出演は増加している。例えば立命館大学の入学式では、インタビュー無しの写真撮影のみだったのに対して、卒業式には倉木自身がインタビューに答えている。[1]また、紅白への出演も2003年に入ってからである。
その一方で地上波以外への媒体への出演は比較的多い。アルバムなどの発売に合わせてラジオ?雑誌などには多く出演し、ラジオや衛星放送で自身の番組を持っていたこともある。
2004年頃からはインターネットでの露出に力を入れている。芸能人としては早くからBlogを始め、2005年12月からは衛星放送で放送されていた「Mai-K TV」をNTTのフレッツ内で放送を始めている。ただし、他のアーティストと比べた場合、それでもメディアへの露出は少ない。
理由については、ビーインググループの戦略に惚れた事であると言われている。ビーイング系の女性アーティスト(ZARD?小松未歩など)は伝統的にメディアへの露出が極めて少ない。
2007年6月、初めての中国、台湾への訪問に、地元メディアがヒートアップ。空港から移動中、宿泊先など様々なシーンで彼女が登場。日本とのメディアへの対応の違いに意見が出た面もあるが、倉木サイドは旅行中をオープンにしており、日本のメディアももちろん取材ができていた。取材がオープンになったのは、中国、台湾とも式典への招待客の立場であったこと、そして、彼女の人気の高い中国、台湾への短期PR、台湾ライブのPRを兼ねたため。また、旅行中の倉木麻衣を事務所サイドでもくまなく撮影していた。
大事件
倉木が「歌うこと」に始めて興味を持ったのは、小学校6年生の時である。当時倉木はピアノを習っていて、漠然と音楽に関わる仕事をしたいと考えていた。そのピアノのレッスンの中に音符を読みながら歌っていくというものがあったのだが、その歌を聴いた彼女の先生が「あなたはピアノより、歌が向いている」という言葉がきっかけとなり、歌の道に進みたいと考えはじめた。
中学生になると、倉木は洋楽、特に女性アーティストの作品を聴くようになる。そのきっかけは、マイケル?ジャクソンのビデオを見たことである。その後、マライア?キャリー、ホイットニー?ヒューストン、ローリン?ヒルなどを聴くようになり、彼女らのようなシンガーになりたいと真剣に考えるようになる。
その頃、ビーイングを組織し現在KANONJIの名で倉木のプロデューサーとなる長戸大幸と出会うことになる。長戸は倉木のデモテープを聴いて高校生になってからのデビューを提案し、それまでは英語の勉強や色々な経験をつみ、デモテープを何本も作るべきだと助言する。
高校生になると長戸の紹介でGIZA studioのスタッフと出会い、ローリン?ヒルの「To Zion」のカバーを歌ったデモテープを送ったところ、デビューが決定する。
1999年
学校の夏休みを利用し、ボストンでデビューに向けたレコーディングを行う。
全米デビューシングル『Baby I Like』を、アメリカのインディーズレーベル?Bip! Recordより10月に発売。
日本デビューシングル『Love, Day After Tomorrow』が12月8日発売。同時期にオフィシャルウェブサイトがスタート。ちなみにこのシングルは本来10月リリース予定だったものが、急遽全米デビューしたことを受け12月にずれ込んだ経緯を持つ。
2000年
『Love, Day After Tomorrow』が3月13日、発売より13週目でミリオンセールス達成。
オフィシャルファンクラブ"Mai-K.net"とファンクラブサイトが発足。
マイケル?アフリックがラップを担当した『NEVER GONNA GIVE YOU UP』が6月7日発売。
1stアルバム『delicious way』が6月28日、日本?台湾で同時発売。
『Reach for the sky』がNHK朝の連続テレビ小説『オードリー』主題歌に決定。同番組主題歌では歴代最年少での採用であった。
CSのSKY PerfecTV!Ch.272でThe MUSIC 272『Mai-K TV』がスタートする。倉木にとって初のパーソナリティー番組。
2001年
自身が初めてキャラクター原案を手掛けたプレイステーション用ゲームソフト『テクノビービー』がコナミより発売。
爽健美茶のキャンペーンによる初のライブツアー「爽健美茶 Natural Breeze 2001 happy live」を敢行。
立命館宇治高等学校卒業、立命館大学産業社会学部人間文化コース入学。
世界で初めてのIPv6を用いたスペシャル?インターネット?ライブに参加。
2002年
全国アリーナ?ツアー「Mai Kuraki Loving You??? Tour 2002」を敢行。
全米1stアルバム『Secret of my heart』が1月22日発売。日本でも輸入版として販売された。
資生堂のSEA BREEZEのCMがスタート。倉木にとって初のCM出演である。
SEA BREEZE Feel it キャンペーンライブツアー「GIZA studio HOTROD BEACH PARTY」に出演。
「2002 FIFAワールドカップ オフィシャルコンサート KOREA/JAPAN DAY」に出演。6月30日にはテレビ朝日系列にてライブが放送され、地上波初登場となった。
全国ホール?ライブツアー「Mai Kuraki FAIRY TALE TOUR02-03」が倉木20歳の誕生日からスタートした。
2003年
第54回NHK紅白歌合戦に初出演し、地元である京都の教王護国寺(通称、東寺)からの中継で、五重塔を背後に『Stay by my side』を歌った。これは、紅白歌合戦初の国宝からの中継となった。
B'zの松本孝弘ソロプロジェクトで、倉木が山口百恵の「イミテイション?ゴールド」をカバーした。
東京?大阪で計4日間行われたGIZA studioバレンタインコンサートに、同じ事務所の愛内里菜?GARNET CROWと共に出演。観客にはメッセージカードとチョコレートがプレゼントされた。またこのライブに先駆けて、WindowsMedia9シリーズ発表イベント「Digital Media Night」とバレンタインライブが同時開催され、そのライブ映像がWindows Media Player9シリーズのサイトでオンデマンド配信された。
『kiss』がSEE BREEZEのCM曲となり、同製品のCMへの2度目の出演となる。
α-STATIONにて倉木パーソナリティーによるラジオ番組「「Mai K Baby I Like」がスタートした。
3月発売された『Time after time?花舞う街で?』から3ヶ月間連続でシングルがリリースされた。
スポニチ創刊55周年記念「ファミリーマート?ドリームマッチ 横浜F?マリノス対レッジーナ」のテーマ曲に『If I Believe』の『SAME』が選ばれた。
ニッポン放送「倉木麻衣のオールナイトニッポン いいネ!」で、生放送のラジオパーソナリティーを初めて担当した。
第1回京都学生祭典に参加し、平安神宮ライブを行う。また、倉木も実行委員の一員であった。
2004年
1月1日にベストアルバム『Wish You The Best』発売。
全国ホール?ライブツアー「Mai Kuraki 2004 Live Tour Wish You The Best~Grow, Step by Step~」が4月から7月にかけて行われた。このツアーで、単独ライブ通算100回を7月4日仙台サンプラザで達成した。またツアーと連動するかたちで、ライブドアのブログで「Mai-K Diary」と題して本人による日記やツアーレポートが書かれた。他にもライブ配信、インタビュー、blogをまとめたオリジナルアルバムのプレゼントなどの企画も行われた。
立命館のびわこ?くさつキャンパス(BKC)にて、「Rits倉木麻衣メモリアルライブ2004」が10月2日行われた。これまで「音楽と学業は別」と学内でのイベントを拒否してきたが、同キャンパスの開学10周年と産業社会学部創立40周年の記念年であり、倉木にとっても卒業見込みが出ており、デビュー5周年でもあったため、ライブが実現した。
第55回NHK紅白歌合戦に『明日へ架ける橋』で2度目の出演。
2005年
1月26日 シングルで初のセルフプロデュース作品『Love,needing』発売。
3月23日 通算20枚目のSingle『ダンシング』発売。このころ大学を卒業した本人にとっては、人生の新しい門出に踏み出す人への応援歌にしたい、という思いもあり、プロモーションも兼ねた記者会見を卒業式後に行う。
6月1日 『P.S?MY SUNSHINE』発売。
8月22日?8月28日 Mai-k cafe
8月24日 1年8ヶ月ぶりオリジナルアルバム、『FUSE OF LOVE』発売。
10月 2008年の先進国首脳会議(G8)の関西開催の誘致キャンペーンの一環として、関係者に配布される誘致紹介用DVDに出演。
10月28日 ライブツアーのファイナル終了直後、彼女のコメント映像がブログとしてサイトアップ。初のムービーブログとなった。
11月9日 『風のららら』以来の名探偵コナンオープニングテーマ曲、『Growing of my heart』発売。
12月31日 第56回NHK紅白歌合戦に『Love, Day After Tomorrow』で3年連続3回目の出場。
2006年
シングル『ベスト オブ ヒーロー』?『Diamond Wave』?『白い雪』、アルバム『DIAMOND WAVE』を発表。
4月22日 コスモ石油とJFNによって行われるコスモアースコンシャスアクト?アースデー?コンサートに出演する。また、コンサートに先立ちワンガリ?マータイ氏との対談が行われた。
このアースデー?コンサートをきっかけに環境問題をテーマとした音楽活動を始める。
期間限定(?12月31日)で環境問題をテーマとしたブログ『倉木麻衣の地球にちょっと良い話』が立ち上がる。
ライブツアー中に小池百合子議員がゲスト出演し、環境問題についてトーク。
10月28日 ライブツアーのファイナルで新曲『白い雪』を初めて披露。その際に着た白いロングドレスが話題に。
12月31日 倉木麻衣初のカウントダウンライブ『Mai Kuraki COUNTDOWN LIVE 06,07 ?Love,Day Break Tomorrow?』(パシフィコ横浜(国立大ホール))。
2007年
2月14日 「新?京都迷宮案内」の主題歌の『Season of love』をリリース。
6月1日 所属レーベルをGIZA studioからNORTHERN MUSICへ移籍。
6月7日 中国山東省で開催された「A3 CHAMPIONS CUP 2007」でオープニングイベントにて大会テーマソング「Born to be Free」を中国語で披露。
6月15日 「金曲奨」への出演を前にした共同記者会見で、2007年11月23日に国立台湾大学体育館で初の台湾(海外)ライブを行うことを発表。
6月16日 台湾最大?最高の音楽賞「金曲奨」に、日本代表のプレゼンテーターとして出演。同時に「Secret of my heart」を生演奏で披露。
6月26日 ビーインググループの先輩でもあった亡くなったZARDの坂井泉水へ追悼のコメントをする。関係者とともに開催前に弔問する(織田哲郎や大黒摩季と違いテレビでのコメントはなかった)。
7月3日?8月26日 2年ぶりにファンクラブイベントを開催。「Mai-K "DE?MA?CHI" LIVE DE SHOW」と銘打って、大阪2講演を皮切りに8月26日の東京まで、全国6ヶ所9公演実施。
8月20日?8月26日 Mai-k cafe VOL.2を開催。
9月22日 韓国ソウル市ソウルワールドカップ競技場にて開催される『アジアソングフェスティバル2007』へ出演。ヒット曲『Stay by my side』や、「A3 CHAMPIONS CUP 2007」の大会テーマソングでもある『Born to be Free』などを披露。
11月23日 台湾台北市国立台湾大学総合体育館で自身初の台湾(海外)公演を行った。
11月28日 27thシングル『Silent love?open my heart?/BE WITH U』をリリース。
12月12日?12月21日 『LIVE TOUR 2007 ?BE WITH U?』開催。
12月24日 自身初のフリーライブを京都駅ビルの大階段で開催。
12月31日 カウントダウンライブ『Mai Kuraki COUNTDOWN LIVE 07-08 ?Born to be Free?』開催(パシフィコ横浜(展示ホール))。
2008年
1月 1日 7thアルバム『ONE LIFE』をリリース。
1月24日ライオン「香りつづくトップ」CMイメージソング担当。曲はカーペンターズのTop of the worldをカバー。
3月19日 28thシングル『夢が咲く春/You and Music and Dream』をリリース。
7月 9日 29thシングル『一秒ごとに Love for you』をリリース。
11月26日 30thシングル『24 Xmas time』をリリース予定。