ちあきなおみ的吉他谱
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小档案
ちあき なおみ(本名:瀬川 三恵子、1947年9月17日 - )は、日本の元歌手、女優。1992年に夫の郷鍈治との死別をきっかけに一切の芸能活動を休止し、引退同様の状態となった。結婚後に所有した不動産(ビル)のオーナーではあるものの、実業家として表立って活動しているわけではない。
義兄(郷の実兄)に俳優の宍戸錠。
小简介
東京都板橋区出身。3姉妹の末っ子として誕生し、芸事の好きな母の影響で4歳でタップダンスを習い、5歳の時日劇にて初舞台を踏む。
小学2年の時、神奈川県藤沢市辻堂へ転居。藤沢市立辻堂小学校を卒業。藤沢市立湘洋中学校へ進学。中学2年の時、大田区立大森第三中学校へ転校。中学3年の時、新宿区立大久保中学校(現在の新宿区立新宿中学校)へ再転校。
米軍キャンプ、ジャズ喫茶やキャバレーで歌ったり、演歌歌手としての修行をしたり、下積み時代の10代は芸名を変えながらいわゆるドサ回りで全国を回る。橋幸夫やこまどり姉妹などの前座歌手も務める。実力のあったちあきはすでに一家にとって大黒柱的存在になっていた。
コロムビアのオーディションを受け保留となり、作曲家鈴木淳の元で1年4ヶ月レッスンを受け、1969年に「雨に濡れた慕情」で念願の歌手デビュー。1970年に「四つのお願い」がヒットし、人気歌手となる。同年『第21回NHK紅白歌合戦』に初出場、以降1977年まで8回連続出場。その後、「紅とんぼ」のヒットで1988年の『第39回NHK紅白歌合戦』に11年ぶりの出場を果たした。
「四つのお願い」や「X+Y=LOVE」の頃はいわゆるお色気アイドル路線にて活躍。『元祖どっきりカメラ』や『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』など、歌手でありながら体当たりな仕事もこなした。
1972年、代表曲となる「喝采」が第14回日本レコード大賞(レコ大)を受賞し、その年の年末から翌年にかけてオリコン集計で80万枚を売り上げる大ヒットとなる。この曲は当時ちあきの実体験を元にして作詞されたという触れ込みでプロモーションされたが、実は全くのフィクションであった。実際には前座歌手時代に兄の様に慕っていた若手役者が急死した体験を持ち、それと歌詞の内容が偶然似ていたために、「実体験」とすることでプロモーションに活かすという戦略をとったのだといわれている。
レコード大賞受賞後も1973年に「夜間飛行」、1974年に「円舞曲」などのポップス系ヒット曲を発表する一方、前座歌手時代に演歌のレッスンを受けていたこともあり、その歌唱法を活かして1975年に「さだめ川」、1976年に「酒場川」「矢切の渡し(酒場川のB面曲として発表)」、1988年には「紅とんぼ」など船村徹作曲による演歌系作品も歌った。またニューミュージックのアーティストに楽曲提供を受け、1977年に中島みゆきの「ルージュ」や友川かずきの「夜へ急ぐ人」、1988年には飛鳥涼の「伝わりますか」などをレコーディングした。さらに1980年代前半にはアルバム『それぞれのテーブル』でシャンソン、『THREE HUNDRED CLUB』ではスタンダードジャズ、そしてポルトガル民謡のファドを歌ったアルバム『待夢』を発表するなど洋楽のカバーアルバムを発表。
1976年2月、テレビドラマ『大都会 闘いの日々』第8話に、「俺の愛した、ちあきなおみ」(脚本倉本聰、監督村川透)というサブタイトルをもつ作品が制作、放映された。実在する現役歌手がサブタイトルにフィーチャーされること自体異例であり、ちあきおよび彼女の楽曲「喝采」がドラマの内容に深く関わっているものであった。
1978年の結婚(後述)以降は歌手としてのテレビ出演の機会が減ったが、レコーディングはマイペースながらも精力的に行われた。また、本人の演劇性やコミカルな面を活かし、女優やタレントとしての才能も買われ、テレビでの活躍の場を広げた。1987年からの大日本除虫菊「タンスにゴン」のCMシリーズでは、癖のある主婦を好演(怪演)。1990年の自転車に乗った共演者?美川憲一に「もっと端っこ歩きなさいよ」と注意されるバージョンは話題を呼び、美川の再ブレイクのきっかけにもなった。
水原弘のオリジナル曲をカバーし1991年に発表された「黄昏のビギン」は同年(京成電鉄?スカイライナー)と1999年 - 2003年(ネスカフェ?プレジデント)に、戦後間もない頃に小畑実が歌った曲をカバーした「星影の小径」は1986年(AGFマキシム?レギューラーコーヒー)、1992年(Audi)、2006年(キリンビバレッジ「実感」)にテレビCMに使われた。
1978年に俳優の郷鍈治と結婚したが、1992年に死別。郷が荼毘に付されるとき、柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。郷の死去以降は一切の芸能活動を停止。引退宣言もないまま現在まで、公の場所にも全く姿を現していない。
1992年以降の休業後、毎年のようにベスト盤などのCDがリリースされ、2000年に発売された6枚組CD-BOX『ちあきなおみ?これくしょん ねえあんた』は4万セット以上を売り上げ、歌謡曲系のCD-BOXとしては異例のヒットとなった。2003年に通販のみで発売された10枚(巻)組CD/カセットBOX『うたくらべ』も1万セット以上の売り上げを記録。2008年10月には6曲のライブ未発表曲、未発表ライブ映像のDVD、本人提供の未発表写真集を含めたCD-BOX『歌手-ちあきなおみ-』が発売された。プロデュースを手掛けた東元晃がちあきを約2年にわたって根気よく口説き、映像を世に送り出すことを含めて了解を得たという。
2005年11月にはNHK-BS2で90分の特集番組『歌伝説?ちあきなおみの世界』が放送され反響を呼び、初回放送を含めてBS2?NHK総合(地上波)?NHK-BSハイビジョンで2007年8月までに計6回放送された。また2007年2月にはテレビ東京『たけしの誰でもピカソ』で民放では初となる本格的な特集が組まれ、2008年1月25日にはその続編も放送された。 2009年11月14日には、『歌伝説?ちあきなおみの世界』に次週放送の番組予告?未公開映像素材を追加して、NHK-BS2で『歌伝説 ちあきなおみ?ふたたび』として、15分間延長の上改めて放送。 翌週11月21日は『BSまるごと大全集 ちあきなおみ』が2時間の生放送を予定している。事前に視聴者からちあきなおみの歌へのメッセージ?リクエストを受け付け、それを基にした楽曲が放送される予定である。