高井麻巳子的吉他谱
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小档案
高井 麻巳子(たかい まみこ、本名同じ、結婚後は秋元 麻巳子、1966年12月28日 - )は、日本の元アイドル歌手であり、エッセイスト?イラストレーターである。株式会社秋元康事務所監査役。
1985年(昭和60年)から『おニャン子クラブ』の一員として芸能活動を行っていたことで知られる。
小简介
新田恵利は仲の良かったおニャン子メンバーの一人として高井の名を挙げている。また会員番号40番台以降のメンバーのほとんどが憧れの先輩として高井の名を挙げることもあった。弓岡真美は引退後の雑誌インタビューで孤立しがちだった自分に高井は話しかけてくれていた、というエピソードを明かしている。
チェッカーズの大ファンで、特に藤井尚之が憧れだと公言していた。レコード会社の担当ディレクターが同じ人物だったため、鶴久政治がはじめて他の歌手に楽曲を提供する(鶴久は後に、岩井由紀子のシングル「25セントの満月」も作曲)。
おニャン子在籍中に映画「恋する女たち」に同級生役で出演したことから、主演の斉藤由貴と親交があり、一緒にニューヨーク旅行などもしている。その際の珍道中を、斉藤由貴の対談番組で夫の秋元康が楽しそうに暴露したことがある。高井本人も角川書店『由貴的世界感情旅行』にあとがきを寄せている。斉藤の著書「私の好きなあの人のコト」(新潮社)に、高井の結婚にまつわるエピソードを含めたさまざまな話題が書かれている。
秋元康が猿岩石に詞を提供する際に用いたペンネーム「高井良斉」は、「高井は良妻」をもじったものと言われている。
FUJIWARAの藤本敏史やペナルティのヒデなどがかつて大ファンだったと発言している。
大事件
1966年(昭和41年)、福井県小浜市に生まれた。実家は自転車屋であり、このことは後に『会員番号の唄』で(4人姉妹の次女)も自ら言及している。1985年(昭和60年)に福井県立若狭高等学校を卒業、美大進学を目指して東京の予備校へ入学した。女子美術短期大学中退。
同年4月、『夕やけニャンニャン』内のコーナー?アイドルを探せ?の出場者をスカウトをする企画で、原宿を歩いているときに伊藤克信にスカウトされる(が、番組側のやらせだったとの説もある)。同コーナーで「青い珊瑚礁」を歌い、おニャン子クラブ会員番号16番としてデビュー。
番組やおニャン子クラブの中では、「純朴な田舎の少女」というイメージで人気を得る。また「空想好き」、「学校の成績は悪くないのに一般的なことを知らない」といういわゆる「天然系」(当時は「大ボケ」と表現されていた)な面も見せていた。
9月、おニャン子クラブから初のソロデビューとなった河合その子のキャンペーンに「withおニャン子クラブ」として同行。
10月、岩井由紀子(ゆうゆ)と二人でうしろゆびさされ組を結成、アニメ『ハイスクール!奇面組』の主題歌『うしろゆびさされ組』でユニットデビュー。
1986年6月、『シンデレラたちへの伝言』でソロデビュー。うしろゆびさされ組の活動と並行してシングル、アルバムを定期的に発売。
1987年3月でおニャン子を卒業、女優として連続ドラマに出演するなど活動の幅を広げる。忌野清志郎のファンであることを音楽誌のインタビューで語り、そこから親交が生まれRCサクセションのアルバム『COVERS』にゲスト参加。
1988年5月23日、ファンクラブ結成の直後におニャン子の仕掛け人である秋元康と結婚し、突然の芸能界引退(クラブ会報も3号で終刊)。
2001年3月、長女出産。
結婚後は表立った活動はなかったが、イラストの腕を生かして小説の挿絵などを手がけ、2002年、絵本『ぞうネコ』(秋元康?文、秋元麻巳子?絵)を出版。結婚後の活動はすべて「秋元麻巳子」名義。
2004年頃、秋元康がメレンゲの気持ちに出演した時に、高井が自宅の様子をビデオカメラに撮影した模様が映った(本人も登場)。