田中好子
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小档案

田中 好子(たなか よしこ、1956年4月8日 - 2011年4月21日)は、日本の女優、アイドル歌手(元?キャンディーズ)である。

本名、小達 好子(おだて よしこ)。旧姓、田中。愛称はスーちゃん。

足立区立第四中学校、東京成徳高等学校を経て、東京成徳短期大学卒業。


大事件

1972年(昭和47年)、NHKの歌番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールのオーディションに伊藤蘭、藤村美樹とともに合格。この3人組は「キャンディーズ」と命名され、マスコットガール兼アシスタント(椅子?マイク運び?代理音合わせ)として活動。テレビヒーロー作品『突撃! ヒューマン!!』(10~12月)にヒロインとして出演。また、この年の紅白歌合戦で、橋幸夫(曲は「子連れ狼」)のバック?コーラスや、南沙織(曲は「純潔」)のバック?ダンスを務めた。

1973年(昭和48年)9月1日、キャンディーズとして「あなたに夢中」で歌手デビュー(コーラスパートはメゾソプラノ)。当時のニックネームは「スーちゃん」(好子の“好”という字が「すき」の「す」であるため)。キャンディーズのメンバーでは最年少であった。

デビュー曲の「あなたに夢中」から4曲目の「なみだの季節」までは、歌唱力を評価されてキャンディーズ初期のセンター位置のリードボーカルを担当した。その間はヒット曲に恵まれず、その後5曲目の「年下の男の子」以降殆どは、メインボーカルを伊藤に譲り、向かって右の立ち位置でコーラスを務めた[注釈 4]。

1977年(昭和52年)以降は、歌手としてだけではなく、作詞作曲(共作ふくむ)も行う。作品に「LOVE ME LOVE ME」「ミッドナイト?ハイウェイ」「私の彼を紹介します」「季節の別れ」「一番星さん」「なんとなく」「午前零時の湘南道路」「PLEASE COME AGAIN」「いけない人」「土曜日の夜」がある。

1978年(昭和53年)4月4日、キャンディーズは解散した後、一時引退。

1980年(昭和55年)年、芸能界へ復帰し、ソロシングル1枚を発表。その後は女優業に専念した。

1989年(平成元年)に公開された『黒い雨』で、主役?「高丸矢須子」役を演じ、日本アカデミー賞?ブルーリボン賞?キネマ旬報賞?毎日映画コンクール?報知映画賞などで主演女優賞を受賞。日本アカデミー賞などでは作品に対しても大賞を受賞し、第42回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上演された。また、原爆症の表現の為に、入浴シーンで体の変化を表現する為に敢えてヌードになり話題を呼んだ[注釈 6]。その頃から、演技派女優の評価をされた。

1991年(平成3年)5月21日、実業家の小達一雄(夏目雅子の実兄で小達は再々婚)と結婚(結婚は夏目が亡くなった後だが、生前から夏目と親交があった)。挙式?披露宴には、両家の親族や田中のプロダクション関係者らごく内輪の人たちだけが出席した。

テレビでは、1983年(昭和58年)から1984年(昭和59年)の連続テレビ小説『おしん』のおしんの養女「田倉初子」役や、1994年(平成6年)の『家なき子』(日本テレビ)でヒロインの母?「相沢陽子」役、2001年(平成13年)の連続テレビ小説『ちゅらさん』では主役の母?「古波蔵勝子」役などを演じた。

また映画では、1999年(平成11年)の『鉄道員(ぽっぽや)』で同僚の妻?「杉浦明子」役、2003年(平成15年)の『鏡の女たち』で主要キャストの「尾上正子」役などを演じた。

田中には、継娘にあたる真由子が居たが、自身に子供は恵まれなかった。しかし、女優としては母親の役を当てられることが多く、田中の子供役として共演した経験のある俳優は男22人、女25人で合計47人にものぼる。田中の葬儀の際、夫の小達一雄は「(好子は)22男25女、合わせて47人もの子供に恵まれた。好子はそのすべての子供たちを心の底から愛していました」と言い、その名母親役ぶりを称えた

また女優以外にも、夫の小達一雄が夏目雅子の実兄であることより夏目雅子ひまわり基金の活動、厚生労働省の公衆衛生審議会委員、国立国際医療センター顧問、エイズ予防財団及び日本エイズストップ基金運営委員なども務めた。

死去直後の記者会見において、結婚翌年の1992年(平成4年)に乳がんが見つかり、幾度か再発を繰り返したが、いずれも早期発見で治療を続けながら芸能活動を続けていたことなどが、夫の小達一雄によって初めて公式に明らかにされた。

闘病の事実は親族のみに伝えられ、盟友である伊藤蘭と藤村美樹ですら、伝えられたのは約3年前で、共演者には一切明かされていなかったという。

2010年(平成22年)10月に十二指腸潰瘍を患い、その治療のため絶食をしたことで体力?免疫力が低下、乳がんが再発。2011年(平成23年)2月には、がん細胞組織が急激に増殖するラッシュ状態となり、肺や肝臓にもがんが転移した。

2011年(平成23年)4月21日午後7時4分頃、懸命の治療も甲斐なく、国際医療福祉大学三田病院にて逝去。55歳没。長年の盟友だった伊藤蘭と藤村美樹は、田中が危篤状態になった際、「2人とも家族同然だから」という親族の計らいで病室に呼ばれ、田中が息を引き取るまで、7時間にもわたって田中の名前を呼び続けていたという。

通夜は4月24日、葬儀?告別式は25日に青山葬儀所でそれぞれ営まれた。棺と葬儀場の絨毯は田中のキャンディーズ時代のイメージカラーだった青で彩られた[8]。戒名は、春芳院妙純日好大姉[8]。

葬儀では藤村美樹が「私たちは永遠にキャンディーズだから」と語りかけ[9]、伊藤蘭は「もう一度だけでいいから、(キャンディーズの)3人で逢いたかった」と涙を堪えながら弔辞を読んだ[10]。

葬儀の最後の喪主の挨拶の中で、本人のラストメッセージとなるの肉声録音テープ(約3分20秒)が流された。映画の撮影を模した形でテープが公開され、テープが流される前及び流された後に、夫がカチンコを鳴らしたり撮影の掛け声を掛けた。その後、棺に花を入れていく「最後の別れ」は、一般より長い40分続いた。出棺の時には、キャンディーズ時代のデビュー曲「あなたに夢中」が流される中、日本キャンディーズ協会のメンバーなどが霊柩車に向けて、青いテープを投げ入れ最後の別れを告げ、遺体は品川区の桐ヶ谷斎場で荼毘に付された。

田中の逝去の報に、『家なき子』で共演した安達祐実をはじめ、NHK連続テレビ小説『ちゅらさん』で共演した国仲涼子や毎日放送の単発ドラマ『筆談ホステス』で共演した北川景子など、田中と映画、ドラマ等で共演した多くの俳優や女優、長年のキャンディーズフリークとして知られている自由民主党政務調査会長の石破茂[18]などが追悼の辞を発表している。

現在の40-50代の男性の中には未だにキャンディーズの根強いファンが多数いる事もあって、民放のワイドショーやニュース番組は元より、芸能ネタは訃報で終わる事が多いNHKさえも、ニュース7やニュースウォッチ9で時間を割いて通夜?告別式の様子を伝えた。特に、ニュース7キャスターの武田真一アナは田中がファンだとホームページで公言しており、肉声録音テープを流した直後は言葉に詰まっていた。

これだけ惜しまれつつ世を去った田中であったが、一方でキャンディーズ解散時に揉めた影響もあってか、最初の所属事務所である渡辺プロダクションなど一部の芸能事務所関係者は葬儀に参列しなかった。解散から30年以上経った後も、当時の遺恨が残っている事を匂わせる形となった。

田中好子的吉他谱

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