CHAGE&ASKA
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CHAGE&ASKA的艺人档案



CHAGE
旧称: チャゲ、本名: 柴田秀之

ASKA
旧称: 飛鳥涼、本名: 宮﨑重明


CHAGE and ASKA(チャゲ アンド アスカ)は、CHAGEとASKAの二人のシンガーソングライターによるJ-POPの音楽ユニット。ただし、本人達はバンドであると主張している。旧称: チャゲ&飛鳥(1979年 - 1988年)、CHAGE&ASUKA(1989年 - 1990年)、CHAGE&ASKA(1990年 - 2000年)。通称: チャゲアス。略表記: C&A。中国語表記: 恰克與飛鳥。韓国語表記: ?? ? ???。

なお、CHAGE AND ASUKA、CHAGE AND ASKA、Chage and Askaなどというロゴ表記を使っていたこともあるが、これはあくまでもデザイン上の問題であり、正式名称ではない。

大事件

1978年 - 高校時代からの友人だった二人が第一経済大学在学中、それぞれ別のバンドとして出場していたヤマハ第16回ポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)の福岡大会から九州大会へ進む際に、ディレクターの誘いによりチャゲと飛鳥として結成。後にチャゲ&飛鳥に変更し、「流恋情歌」で入賞。
1979年8月25日 - ヤマハ第17回ポピュラーソングコンテスト入賞曲の「ひとり咲き」でワーナー?パイオニア(現ワーナーミュージック?ジャパン)よりデビュー。このときのキャッチコピーは"九州から大型台風上陸!熱い喉が衝き叫ぶ!"だった。
1980年 - シングル「万里の河」が大ヒットする。学園祭コンサートも積極的に行う。
デビュー当初は「フォーク演歌」とも呼ばれるような作風だったが、徐々に鍵盤やコンピュータを使った音楽造りに変化していく。
1981年 - デビュー3年目にして、60公演にも及ぶ大規模なコンサートツアー「熱風」を行う。周囲では誰もが「無謀だ」と思っていたが、各会場は超満員で大成功だった。
1983年 - 史上初めて国立代々木競技場第一体育館をコンサート会場として使用。また、この頃から英語表記のCHAGE&ASUKAを積極的に使用するようになる。
1985年 - レコード会社をキャニオンレコード(現ポニーキャニオン)に移籍。移籍後は、「モーニングムーン」「恋人はワイン色」などのヒット作をリリースし、初のベスト盤『Standing Ovation』を発表。また1984年には、CHAGEが石川優子とのデュエットで「ふたりの愛ランド」をリリースし、大ヒットする。1987年にはASKAがソロシングルを出すなど、ソロ活動も活発化させていく。
1986年 - クリスマス企画としてアナログ盤のみで『Snow Mail』を限定発売。ファンの間では今もなお幻のプレミアムアルバムである。
1987年 - ベストアルバム『SUPER BEST』リリース。3年間オリコンチャートにランクインするという脅威のロングセラー。12月には「世界紅白」に出場するため渡英。
1989年 - シングル「LOVE SONG」発売の際に正式表記を英語表記のCHAGE&ASUKAに変更。その後、デビュー10周年を以って半年間活動を休止。ASKAは渡英し、CHAGEはバンド"MULTI MAX"を結成。この時、解散をささやかれたが、彼等が大活躍するのはむしろこの後である。
1990年 - 初のロンドンレコーディングアルバム『SEE YA』を発表。その先行シングル「DO YA DO」発売の際、正式表記をCHAGE&ASKAに変更。これはASUKAだとイギリス人に「アスーカ」と呼ばれてしまったためである。なお、その後数年間はしばしばCHAGE AND ASKAのロゴ表記を用いていた。
1991年 - 前年発表のアルバム『SEE YA』から「太陽と埃の中で」をシングルカットし、オリコン初登場3位の大ヒット。フジテレビ系ドラマ『101回目のプロポーズ』の主題歌となった「SAY YES」が約300万枚、オリコンチャート13週連続1位という空前の大ヒットを記録。当時の記録を次々と塗り替え新記録を樹立していった。そして10月にリリースされたアルバム『TREE』は発売2週目でミリオンセラー達成、当時史上最高のセールスを記録。「僕はこの瞳で嘘をつく」をシングルカットしオリコン初登場1位となる。ASKAはこの年ソロでも「はじまりはいつも雨」でミリオンセラーを達成している。この頃、ファンクラブ入会者が8万人を超え、お化けユニットといわれる。
1992年 - 前年から続くコンサートツアー「SAY YES」がチケット即日完売。多くのファンのチケットが入手できないという声にこたえコンサートツアー「BIG TREE」スタート。チケットはあっという間に完売し両ツアーで45万人総動員した。第6回日本ゴールドディスク大賞7部門中6部門独占受賞する。アルバム『SUPER BEST II』をリリースし日本国内だけでも300万枚を超える売り上げを記録。アジア諸国でもリリースされ大ヒットする。シングル「if」、アルバム『GUYS』を発表し、ともに好セールスを記録。年末にはコンサートムービー「GUYS」を上映し、コンサートムービーは当たらないという映画界の常識までも覆した音楽史に残る1年となった。
1993年 - フジテレビ系ドラマ『振り返れば奴がいる』の主題歌「YAH YAH YAH」が社会現象となるほどの大ヒットを記録し、日本を代表する人気デュオとなる。第7回日本ゴールドディスク大賞受賞しモナコ音楽祭にアジア代表として出場する。マイケル?ジャクソンらと肩をならべモナコ王子をも踊らすパフォーマンスで「The World Music Awards '93」を受賞した。ただ、この年放送された『MJ -MUSIC JOURNAL-』の検証コーナーで「チャゲアスは演歌だ」と断定され、激怒する。一時期フジテレビ側と険悪な関係に陥る。しかしこの件に関してASKAは後に他のテレビ番組で「演歌だと言われて怒ったという事になっているが、そうではない。それでは演歌を真剣にやってらっしゃる方に失礼だ。番組側と番組に関しての打ち合わせをした際、こちらが要求した事とは全く正反対の事をやられ、打ち合わせとは全く違う内容の番組をやられたため、これは明らかに悪意があると思い怒った。これをされたら誰だって怒る」といった内容の発言をした。
1994年 - デビュー15周年のこの年も前年までと同様に多くの功績を残す。第8回日本ゴールドディスク グランプリシングル賞など受賞し、モナコ音楽祭に3年連続となる招待を受け14カラット?ソウルとアカペラソングを披露、受賞も3年連続となった。初のアジアツアー「ASIAN TOUR 1994」を行ない、日本のツアーの延長として今まで誰も果たせなかった大規模なステージセットでの公演となり香港?シンガポール?台湾で合計6万人を動員、現地の各種メディアにも大きく取り上げられた。ハリウッド映画『Street Fighter』のEDテーマ曲に全英語詞「Something There」が起用され話題となる。シングル『めぐり逢い』がヒット、ロングセラー。予約限定4枚組『SUPER BEST BOX』リリース、4枚目には「Snow Mail Special」と称した幻のアナログアルバムにボーナストラックを加えたスペシャル盤となった。
1995年 - 前年発表の「On Your Mark」のプロモーション?フィルムとして、アニメ『On Your Mark ジブリ実験劇場』(宮崎駿監督、スタジオジブリ製作)が製作され、コンサート会場および劇場で公開される(劇場公開は『耳をすませば』と同時上映)。ハリウッド映画『Judge Dredd』のED曲「TIME」をASKAが担当。二度目のアジアツアー「ASIAN TOUR II MISSION IMPOSSIBLE」を行い、前年よりも現地での知名度も上がり大歓声ののちに終演した。
1996年 - アジア出身者としては初めて『MTV UNPLUGGED LIVE』へ出演。その後、チャカ?カーン、リチャード?マークス、マイケル?ハッチェンスら海外の実力派シンガーによる英語カヴァーアルバム『ONE VOICE』リリース。本人らがヴォーカルをとった「river」「On Your Mark」の英語ヴァージョンも収録されており、欧米で好セールスを記録し欧米デビューを飾った。日本盤にはASKAとリサ?スタンスフィールドのデュエットによる書き下ろし楽曲など3曲がボーナストラックとして追加収録されている。
1998年 - CHAGEもMULTI MAXとは別にソロ活動を展開しはじめ、初のコンサートを上海体育館で行う。ASKAは台湾での「MTV Music Summit '98」に出演する。
1999年 - 東芝EMIに移籍。デビュー20周年のこの年、多くの「初」を経験する。両A面シングル『この愛のために/VISION』でCHAGE&ASKA始動。MTVアンプラグドの影響を受けた初の小空間でのアコースティックライブを行う。初のセルフプロデュースアルバム『NO DOUBT』はオリコン初登場1位。初のコンプリートベスト『VERY BEST ROLL OVER 20TH』リリース。そして初のDVD作品『LIVE BEST 1995-1999』も世紀末にリリースされ、初CHAGE監修洋楽コンピレーションアルバムの発売。さらには1990年代の締めくくりとして故郷福岡の地で初のドーム公演にして初のカウントダウンライブ「千年夜一夜ライブ -福岡ドーム 僕らがホーム-」を行う。ファンとともにミレニアムイヤーを迎えた。また、このライブの模様はディレクTVを通じて全世界に衛星生中継された。
2000年 - ヤマハ?ミュージック?コミュニケーションズに移籍。日本語公演解禁に伴い大規模な韓国公演を行う。
2001年 - ユニバーサルミュージックに移籍。2年ぶり活動再開シングル「ロケットの樹の下で」を皮切りに立て続けにシングル4枚、アルバム1枚を発表。また、この際に表記をCHAGE and ASKAに変更している。
近年は、お互いのソロ活動の比率が高まり、以前のように毎年オリジナルアルバムをリリースすることはなくなったが、2002年には初のセルフカヴァーアルバム『STAMP』リリース、2003年には富士急ハイランドで小田和正、財津和夫との夢のセッションライヴを行ったり、2002年のイベントで突如披露されたSTARDUST REVUEとのコラボレーション楽曲『デェラ?シエラ?ム』をリリースしたり、ASKAの第二の故郷である北海道でのイベントに井上陽水らと参加し、札幌ドームで二度目のカウントダウンライブ「COUNTDOWN LIVE 03>>04 in SAPPORO DOME」を行うなど数々の実績?活動を残している。
2004年 - コンサートツアー「two-five」を行う。デビュー25周年を迎えた8月、1995年にニュースステーションのOPテーマとして起用されていたがリリースされることのなかった幻の楽曲「36度線」をリリース。8月28日には1981年に行った初の全国ツアーを再現した「チャゲ&飛鳥 熱風コンサート」を東京?お台場野外特設会場にて行う。12月にシングル「僕はMusic」をリリース。
2005年 - CHAGEは写真や映像の分野へ、ASKAはソロアルバム制作へとそれぞれ久々のソロ活動に入る。11月16日に「On Your Mark」のPVとライカリールを収録したDVD『ジブリがいっぱいspecial ショートショート』がスタジオジブリから発売された。
2006年 - 12月、国立代々木競技場第一体育館にて徳永英明、岡本真夜らと共に「Point Green Live 2006」を行った。なお、会場には安倍総理も鑑賞に訪れた。
2007年 _ 1月、2年ぶりとなるシングル「Man and Woman」「Here&There」、5年ぶりのオリジナルアルバム「DOUBLE」をリリース。3月よりコンサートツアー「DOUBLE」を行う。さらに11月の上海大舞台(旧 上海市体育館)での公演を皮切りに8年ぶりにアコースティックコンサートツアー「alive in live」を行った。

CHAGE&ASKA的吉他谱

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